長女を出産したときのこと

今から26年前、私はアメリカで長女を出産した。
元旦那は海軍だったので船に乗って航海に出ていた。 
妊娠中の半分と出産後3か月は一緒にいなかった。
その間に起こったさまざまな出来事がもしかしたら今の長女の体調を左右されてるのかな?とふと思うときがある。

初めての出産、アメリカのド田舎で当時は言葉もかたことの私。
友人から渡された一冊の育児書が唯一の頼りだった。
そのド田舎には日本人は私しかいないと思っていた。
現に、小学校に呼ばれて日本とはを語ってほしいと言われておなかの大きな私はかたこと英語で日本を語った。内容はまったく覚えていないし、地図の読めない私と歴史も地理も不得意の私が何を伝えたか今考えると恐ろしい!!!!
あ、そうだ!一つだけ思い出した!「知ってる日本語を言ってみてください」と質問したんだ!
時間稼ぎだな。

そんなド田舎での出来事。
元旦那の実家には両親と小姑がいた。
これが事件を起こす。
そのころの小姑はまだ16歳?17歳くらい。私の服を盗む盗む!数枚しかない服がなくなっていく。
夜中1時ころ寝てると電気がパンと付き、無断で服をとっていく。電気はつけっぱなし。
こんなことがかなりあった。
すごく不愉快な毎日をすごす。
両親(元夫)ヘビースモーカーで私は煙の中にいた。
シンデレラ状態で朝から晩まで働かされた。
毎日が苦痛で仕方がなかった。
つわりもひどく、妊娠中つわりが収まらずにいた。
 
以前ブログに書いた電化製品がすべて壊れたのはこの家だった。
それから出産をし、私はその家にきて初めて心から幸せを感じた。
母乳をあげる。
唯一の幸せなひと時だった。
しかし、私は長女との時間を削られ、また産後すぐに家事をやらされた。
私は立てないくらいの痛みを持っていたにも関わらず・・・。
義理の母がこう言った。
「母乳なんてよくないからやめなさい」
理由はその時間家事ができない!それだけだった。
私は言われるがままに病院に行き、母乳を止める注射を打った。
どうしても母乳で育てたかったのに・・・。
そこにはまだ強くなれない母の自分がいた。
母乳がとまり、粉ミルクへと切り替えると、ほとんどの粉ミルクにアレルギー反応がでてしまい、長女は何も受け付けなくなり、体重は減り、ついに病気で入院をした。
生後3か月には涙腺がつまり、炎症を起こし、手術をするがあまり経過はよくなく、その後も何度と手術をした。

もしあの家を飛び出て、自分で長女を育て、母乳をあたえていたらもっと強い身体になっていたかもしれない。
あのころのことを思い出すと腹立たしくもある。

えっくんが1歳の時、ヘビースモーカーで生まれたばかりの長女を片手にたばこをすっていた元夫の母親は肺がんで死んだ。
私はなんとも思わなかった。
肺がんとわかってから一目えっくんに会いたいという願いはむなしく、そのお葬式に1歳のえっくんは参列した。
私は不思議とその日、病気になり手術をし入院をした。
葬式にもいかなかった。

そんな出産、いまでも長女に対して思う気持ちは深いものがある。